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| 西表島縦走 船浮・網取・鹿川ルート |
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| 明治末期に廃村になった西表の南西に位置する鹿川の浜では月夜の晩になると、どこからともなく子供達が現れて海辺の岩をぴょーんぴょーんと飛び歩くのだという 、もちろん人間ではなく正体不明のもので「岩飛び少年」というらしい、そしてそれを見た人は幸せになれるのだという、こんな話しが安間繁樹さんの「西表島自然誌」(晶文社)に書かれてました。西表島の鹿川は私にとって憧れの地です。ここへ自力で行くには岩だらけの海岸を十何kmも途中海に浸かりながらひたすら歩くか、何個も山を越え、西表島を西から東に横断するしかありません。大学のワンゲルか、そうとう西表通の人が行くところです。鹿川は湾の真ん中にリーフがあり、背後は高い山に囲まれ、広いきれいな浜と水場の滝、魚もサンゴも多く自然好きな人が夢見る桃源郷の様なところです。船浮から鹿川へ向かうルートは、浜辺あり、岩場あり、海中、山中、マングローブ、渓流と西表の大自然を満喫することが出来ます。出発は船浮のイダの浜です。イダの浜までは船浮集落の裏からだれでもわかる小道を15分程歩けばで着きます。イダの浜からは海を右手に見ながら、この湾の奥にあるユナラ川河口を目指します。このルートで一番気をつけるのが潮の干満です。満ち潮時と引き潮時では歩くところが変わってきます。歩く日が大潮の場合、朝夕は満ち潮で潮位も高いため歩けない所もあります。昼間は引き潮ですので、どこでもスイスイ歩いていけます。小潮の場合、朝夕が干潮、昼間が満潮になりますが、干満の差があまりなく、潮位もさほど高くないためどの時間でも歩くことができます(潮位が120cmぐらいまで)。イダの浜を過ぎた所の岩場は山ルートがないので岩の上を歩きます。岩がすべるところは、迷わず海の中を歩きましょう。崖を越えると砂浜あり、また少し歩くと岩場地帯になります。この、砂浜、岩場の繰り返しを3.4回します。最初の崖以外は全て山ルートがあるため、そちらの方が歩き易いです。途中、波穏やかな美しい砂浜が何度も現れます。暑くなったらすぐに海水浴。このコースは歩くとすぐにきれいな浜辺や渓流が有り、泳いで体を冷やせるのも魅力的です。湾内にマングローブの木がポツポツ生えてるのが見えてきたらそろそろ対岸に渡ります。渡り始めのポイントは、平らな岩場を過ぎたあたりで、ユナラ川の河口まで行ってしまったら行き過ぎです。ユナラ川は雨の多い時期行くと、山の中腹あたりに小さな滝が見えます。イダの浜からユナラ河口に向かって湾を奥へ奥へと進んで来ました。ここからは湾内を横切りサバ崎のある対岸の半島を目指します。対岸をよーく目を凝らして見ると白い浮き玉がぶら下がっています。そこは小さなマングローブ林になっていて、その奥にナータ道の登り口があります。また、ここより少し湾の奥の方に平らな岩場が有り、そこにも登り口があります。こちらのほうが登り易そうですが、すぐに最初の登り口の道と重なります。ナータ道は最初と最後が急な上り下りになっていて、途中は少し窪地になっています。数mごとに木にビーニールテープでマーキングがしてあり、また、木の根っこや砂岩質の石に踏み後がしっかり付いています。網取、崎山、鹿川の集落があったころは3つの村人総出の作業「ムラングトゥ」が年に何回かありました。旧暦8月15日には3集落を結ぶ大きな道の大清掃が役人の命により行われていたようで、このナータ道の作業には舟浮の人も加わったそうです。ナータ道のある山を昔はアハリヤンと呼んでいました。アハリとは夜明け、ヤンとは山のことで、網取の集落から見て太陽が昇る地点の呼び名です。ナータ道は道の迷わなければ30、40分で網取湾の浜に出れます。この浜はナータの浜と呼ばれています。対岸には元の網取集落に建つ東海大学の研究所が見えます。全身汗だくで山を越え、沸騰しそうな体を網取の美しい海が冷やしてくれます。網取集落の人たちは、西表内での大きな集落祖納に行く際、海が荒れてサバ崎を通ることが出来ないとき舟でナータの浜まで行き、舟浮まで歩き、そこから舟を借り祖納に向かったそうです。また帰りはナータの浜でのろし火を焚くと網取から迎えの舟が来たそうです。私たちはナータの浜で泳ぎ、昼食をとって、ここから網取湾の奥を目指します。ナータ浜からウダラ川河口まで2kmちょっと、ここも砂浜、岩場の繰り返し、割合は半々、岩場は砂岩で出来ているので、それほど滑りませんが、結構大きな石の上り下りが荷物を持ってだときついです。海の中を歩くと穴や大きな石があり、バランスを崩すと転んでびしょ濡れです網取湾の奥は2つの川が流れ込んでいます。西側がアヤンダ川、東側がウダラ川です。ナータ浜から来ると必然的にウダラ川に出ます。このウダラ川河口には波穏やかなうつくしい浜辺が広がっています。ここは前に紹介した伝説の「ケイユウおじいとシロの浜」です。今年の夏に行った時は、ここに人が暮らしていました。夏場だけ来て長期で滞在し、のんびりしているようです。この浜を過ぎるといよいよウダラ川です。このウダラ川河口のルートは人に聞かないと絶対にわかりません。3年前に来た時ははいくら探しても見つからず、結局川の中も泳いで進みました。今回はたまたまケイユウおじいの家に住む人に教わることが出来ました。ここのルートはマングローブの中にあります。小潮の満潮時(潮位130cmぐらいまで)なら、荷物を頭の上に乗せ、川の中を横断できます。マングローブ付近は少しもぐりますが、それ以外は案外硬い川底になっています。このコースで唯一迷ったのがこのマングローブの中でした。ウダラ川を左手に見ながら進むのですが、新しいマーキングと間違った古いものがごっちゃになっており、マーキングを追っているうちに、いつの間にか山に入り込み、小さな川を何本か渡り、元来たマングローブを逆に歩いており、自分達が着けた足跡で間違いと気がつきました。迷わないためには、常に川は左手にあると意識しながらマングローブの中だけを進み、そのマンングローブ地帯が終わる頃、ウダラ川の本流(川幅7〜8m)に出ます。その場所で、上流の方を見ると右手に大きなサキシマスオウの木があり、対岸のアダン林には、目印のブイが掛けられています。このアダン林からは、ウダラ川沿いを進むジャングルトレッキングになります。川を右手に見ながら進み、途中で川の中を歩き、対岸に渡り、また川沿い(今度は川は左手)を進みます。このまま進むと比較的大きな川原に着き、支流のウファラシュク川に出ます。鹿川、網取、崎山の集落があった頃、これらの集落を見廻るため、役人が指揮をし、西表島中から人を集め、道を作ったそうだす。その役人の名がウファラ〜といい、泊まりながら道作りを指揮していたため、宿にしたあたりをウファラシュクと呼んでいたそうです。それが、この比較的広い川原あたりになります。この鹿川に続く道をクイチ道と呼んでいますが、正確にはウファラ越地といい、「ウファラ越地節」はこの厳しい山道を、カゴに役人を乗せて越えた様子を唄ったものだそうだす。ウファラシュク川を横切り、ウダラ川も最上流部になるあたりは急な上りで、そろそろ分水嶺(鞍部)です。鞍部は標高は132m、鹿川側から南風が吹き涼しく、ちょうど1本のシークァサーの木に標識が掛けらてます。アダン林からここまで約1時間、ここからは急な下りで30分程で鹿川の浜に出れます。(帰りはこの急な上りが1番辛かった)最後に1つ、レプトスピラについて、1999年夏、西表島でカヌーや川のレジャーに携わる人々がレプトスピラ症に集団感染しました。これは病原性レプトスプラという細菌の感染によって起こる人畜共通の感染症です。ワイル病、秋疫、七日熱ともいわれています。昔は全国的に見られましたが、衛生環境の向上により、無くなりつつあります。しかし、西表島の南西部にはまだ残っているようです。レプトスピラに感染した動物の尿(ネズミなどは1年以上も保菌する)に汚染された土壌や水(レプトスピラは水中では数週間生存可能)との接触により、皮膚の傷や目や鼻の粘膜を通して人間に感染し、症状は高熱や頭痛、筋肉痛、重症の場合は黄疸、肝臓障害、治療しないと死ぬこともあります。私は何度も西表の南西部に行って、川の中で遊んでも感染しませんでしたが、このような感染症があることを、知っておくことが必要です。 |
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| フェリーを待つ白浜港 |
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| 船浮のイダの浜から本格的なトレッキング |
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| 途中の美しい浜 |
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| 国土地理院の地図を見ながらルートを確認 |
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| 山を越え網取到着 |
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| 満潮にだったので浮き袋を膨らます |
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| 荷物をビニールに包んで浮かばす |
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| 網取湾奥地 |
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| 有名なケイユウおじぃが住んで場所 |
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| 偶然、ボートで来た地元の人に会う |
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| 今度を川を進む |
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| そして、本格的な山道へ |
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| ウダラ川を上り最高部、ここから下り |
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| 鹿川到着 |
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| 水場の滝 |
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| 早速泳ぐ |
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| 遠くから見る鹿川の浜 |
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| 浜を見下ろすキャンプ地 |
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